歌のかけあいはセックスと同義だ

グレイテスト・ショーマン」を観た。
作品自体の感想は本題とは関係ないので割愛するが、本題に入るためにざっくりあらすじだけ紹介しておく。

 

職を失ったバーナム(主人公)は、銀行に「怖いもの見たさって言うでしょう?人はぞっとするようなものを見たがるんですよ」と言って金を借り、博物館をオープンするも、鳴かず飛ばず。どうしたものかと考え「人はぞっとするようなものを見たがるんですよ」と言った舌の根も乾かぬうちに、マイノリティの人々をリクルートしショーを始めることを思いつく。
批評家には叩かれながらもショーは盛況。しかしもっと上流階級の人にも賞賛されたい!と欲を出したバーナムは、名うての劇作家フィリップを取り込むことに成功。
興行を見にやってきたフィリップは、ひとりの団員に一目惚れ。このふたりの恋はこれはこれでいろいろあるのだが、さらに本文には関係ないので割愛する。
フィリップの粋なはからいで女王に謁見したバーナムは、その席で出会ったこちらも飛ぶ鳥を落とす勢いのオペラ歌手(女性)に目をつけ、自分にアメリカ公演を仕切らせてくれと申し出る。
「おれは観客をだまして楽しませるが、一度は本物を見せたい」と言ってオペラ歌手を口説き落としたバーナムは、公演での彼女の歌声(オペラか…?)に感動。
その打ち上げパーティにお祝いに駆けつけた団員たちを会場から冷たく締め出し、これまでは結婚を快く思っていなかった妻の両親が少し認めてくれたような発言をすると、自虐をまじえた暴言(愛する妻の父親に向かってよくもそんなことが言える)でそれに応えた。
締め出された団員たちは「This is me!」と公衆の場に躍り出るが、バーナムは見てもいないしそれで心をいれかえるようなこともない(歌だけがかっこいい)。
オペラ歌手に魅了されたバーナムは、サーカスそっちのけで彼女とふたり、ヨーロッパツアーに漕ぎ出す(この前に娘に「フェイクと本物は違うんだよ(自分たちは成り上がりのフェイクで本物の上流階級ではない)」と言われてもいるので、この流れだと完全に自分のリクルートしたサーカス団員は偽物で、やっぱり本物は最高だ!と言っているのと同じ)。
ところが、ふたりの突然の痴情のもつれによりツアーは中止(オペラ歌手の扱いがひどい)。サーカスは燃え、動物は逃げ出し、妻は愛想を尽かし出ていき、バーナムはしょんぼり。そこにサーカスの団員たちが都合よくやってきて、「あなたは私たちに家族をくれた」と言い励まし(きっかけはバーナムかもしれないが、その後かなりひどいことをされているので果たしてそんなきもちになるのかどうか疑問)、心をいれかえたバーナムは「これからはちゃんとするよ!」と歌いながら妻のもとへ駆け出す(「これからは」「From now on」と何度も言っているが、これからの態度がどうであれ今までしてきたことは消えないし、団員への仕打ちは確実に彼らの心に傷として残り続けるだろう)。「これからはちゃんとするよ!」と告げられた妻は大海原よりも広い心で夫を許し、ともに家路につくのだった。

 

この作品、音楽が本当に素晴らしい。
私はキャストも監督も知らぬまま、予告をひとめ見てそこで流れる音楽を聴いた瞬間、この映画は必ず観なくてはと心に決めた。冒頭の「おーおーおおおー」を聴いただけで、この映画を観に来たのは間違いではなかったと確信できる。そんな名曲ぞろいだ。
また、曲と映像のシンクロが素晴らしい。フィリップとアン(フィリップが一目惚れする団員)のデュエットなどは、サーカスという舞台装置をうまく利用し、ふたりの揺れ動く心情を映像でも表現していて永遠に見ていたかった。

 

そんな珠玉の曲の中のひとつに、フィリップを引き込む交渉中にバーナムとフィリップが歌う曲がある。ふたりの心理戦やマウントの取り合い、歌声のかけあいが美しい一曲である。
私は思った。これはセックスと同義だ。
「○○と同義だ」と言うとき思い浮かぶのは、私の場合は泉田くんの「二位は最下位と同義です」だが、このバーでのシーンを見ているときの私はまさに泉田くんの心理そのものと言ってもいいだろう。
歌のかけあいはセックスと同義だ。
映画館の大きなスクリーンでいいのだろうか、見ているこっちがどぎまぎしてしまう。思わず目をそらしそうになったほどだ。
まったくいやらしくもなければ、なんならバーテンさんも含めて映像との調和も最高の場面だ。

そうか、セックスはこんな日常の何気ない場面にあたかも当然のように紛れ込んでいるものなのか。ふたり、あるいはそれ以上、あるいはそれ以外の何かと、とにかく調和のとれた状態、またはそれが崩れた瞬間、人は、いや私は、セックスを感じるのだろう。
まったく素晴らしいシーンだった。

 

すぐにサウンドトラックを買った。
このサウンドトラックはセックスと同義だ。